深大寺 公式。東京都調布市の天台宗別格本山。厄除元三大師。

国宝
銅造釈迦如来像

平成29年3月 国宝指定

国宝
釈迦如来像

引き続き平成30年4月1日より国宝 釈迦如来像と奈良県新薬師寺香薬師御分身像、兵庫県かくりん聖観音菩薩御分身像に加え、
新たに千葉県りゅうかく薬師如来仏頭御分身像をお迎えします。

拝観料 : 300円 高校生以下無料
拝観時間 : 9:00~ 16:00(冬季)
           9:00~ 17:00(夏季 3月21日~)



《正月 拝観時間》

平成30年12月31日(月) 午前9時~午後4時
除夜は開堂しません
平成31年1月1日(火) 午前7時~午後6時
平成31年1月2日(水)~7日(月) 午前8時~午後5時
平成31年1月8日(火)~ 午前9時~午後4時
銅造釈迦如来像(白鳳仏)
どうぞうしゃかにょらいぞう(はくほうぶつ)

像高 83.9㎝ 飛鳥時代7世紀~8世紀初

文献上、本像に関する記述は、天保12年(1841)、深大寺79世堯徧が纏(まと)めた『分限帳(ぶげんちょう)』に丈二尺余の釈迦銅仏とあるのが最も古く、当時は本堂の脇仏として安置されていました。
また、明治28年の『深大寺創立以来現存取調書』の宝物の条に「一、釈迦銅□ 壱躯 丈二尺余 座像ニ非ズ、立像ニ非ズ右ハ古ヘ 法相宗タリシ時ノ本尊ナリト申伝ナリ」と、深大寺開創時の本尊であることが記されています。開創時本尊という伝承の存在は、当時から逆算したとしても約1200年を経た古仏として本像が認識されていたことを意味します。

しかし、この頃の深大寺は、慶応元年(1865)の深大寺諸堂炎上以来、 本堂の再建などままならぬ状況下であり、本像は、とりあえず慶応3年に本堂を差し置いて再建されていた元三大師堂の須弥壇下に仮置きされたまま、年月が経ってしまい、次第にその重要性が忘却されてしまったようです。この頃、深大寺で小僧見習いの生活を送っていた中西悟堂(日本野鳥の会創立者、天台宗僧侶)師は、本像について、「誰もそんな貴重な像とは知らず、元三大師堂の須弥壇の裏棚に横たえたままであり、私は堂の掃除に行くと折に触れてこの白鳳仏の頭や肩やお尻の埃をハタキではたいたもので、もったいないことをした」と後年述懐されています。

元三大師堂の須弥壇下から本像が再発見

さて、そのようななかで、明治42年(1909)、当時東京帝国大学助手であった柴田常恵によって元三大師堂の須弥壇下から本像は再発見され、これにより深大寺の名は本像とともに日本中に知られるようになり、大正2年に本像は旧国宝指定となったのです。

その後、昭和25年の文化財保護法施行で重要文化財となりましたが、このたび、新たに国宝指定を受け、関東所在の仏像としては神奈川県高徳院銅造阿弥陀如来坐像、東京都大倉文化財団普賢菩薩騎象像に次ぐ指定となり、寺院伝来の仏像としては都内唯一の国宝仏誕生となりました。

そのお姿はまさに国宝にふさわしく優れた造形美を讃えています。
螺髪をあらわさず平彫りとし、三道をあらわします。両手を屈臂し、左手は膝の上で掌(てのひら)を仰ぎ右手は掌を前に向けて立てそれぞれ第3、4指を深くその他の指は軽く曲げています。 衲衣(のうえ)は左肩から背面を覆い右肩に少し掛かり、肘から正面を通って左肩に掛け、裙(くん)は正面で打ち合わせ、裾を台座上に広げ、両膝を開いて台座に倚坐(いざ)します。
また指先などに見られる肌の柔らかな写実的表現と規則正しく折りたたまれる衣文(えもん)の整った形式的な表現が見事に溶け合っています。ひときわ目を引く倚(い)像(ぞう)という形は、飛鳥時代後期から奈良時代にいたるまでのいわゆる「白鳳」期にみられる形式です。本像は蝋型(ろうがた)鋳造(ちゅうぞう)による一鋳で、像内は像底から頭部にかけて大きく空洞になっており、銅厚は1㎝内外とほぼ均一で、重さは53㎏です。表面仕上げについては従来鍍金(ときん)とされてきましたが、近年の科学的調査では、鍍金に必要な水銀は検出されず、金色の施し方は検討課題になっています。

銅造釈迦如来倚像
銅造釈迦如来像
保存状態
保存状態

保存状態は右手第3、4指先が欠失し、像表面が少し荒れているほかはきわめてよい状態です。すなわち本像は、造像当初の姿をよくとどめる関東で最も古い仏像としてきわめて貴重です。

表現
伸びやかな表現

白鳳期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師(こうやくし))、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音(ゆめちがいかんのん))そして深大寺像は「白鳳三仏(はくほうさんぶつ)」と称されています。この3躯の仏像には共通している部分が多く認められます。ふっくらとした頬の輪郭や鼻梁から眉尻にいたる伸びやかな表現はとてもよく似ており、洗練されています。 やわらかくふくらんだ掌からすこし短めの指が伸び、指先をわずかに反らす形も類似しています。

深大寺の歴史を見守ってきた本像

優れた造形と高度な鋳造技法および香薬師像・夢違観音像との類似を考えあわせると、深大寺開創の天平5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、ほかの2躯を手がけた同系統の工人によってつくられ、その後深大寺の本尊として迎えられたと考えられます。近年においては、「国宝 興福寺仏頭展」(東京藝術大学大学美術館)、「白鳳-花ひらく仏教美術-」(奈良国立博物館)、また、2016年には文化庁主催の海外展「日本仏像展」(イタリア・クイリナーレ宮美術館)にも日本を代表する仏像として出陳され、多くの人の目に触れ、東京にもこれほどまで歴史を刻み、優れた仏像が存在していたのかと再認識されました。
創建期から深大寺の歴史を見守ってきた本像は、いま世の中から熱いまなざしが向けられています。



【参考文献-もっとくわしく知りたい方へ-】

  • 松山鉄夫「深大寺銅造釈迦如来像について」(『仏教芸術』133号、1980年)
  • 金子啓明「如来像 深大寺」(『国華』1100号、1987年)
  • 水野敬三郎「釈迦如来像(釈迦堂本尊)」(『深大寺学術総合調査報告書』1、1987年、深大寺)
  • 宇田応之、岩崎温史、桜庭祐介、児島大輔「ポーダブル型複合X線分析装置による遺跡・文化財の分析
    ―これで歴史はかわるか?―白鳳の金銅仏その2深大寺釈迦如来像(1)・(2)」(『金属』76‐9・10、2006年)
  • 菅沼宏樹「釈迦如来倚像」(『関東の仏像』2012年、大正大学出版会)
  • 『開館120年記念特別展白鳳-花ひらく仏教美術-』(2015年、奈良国立博物館)
  • 貴田正子『香薬師像の右手-失われたみほとけの行方-』(2016年、講談社)

【写真提供】 撮影:清水亮一ほか


深大寺までのアクセス

〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5-15-1
お問い合わせ 042-486-5511

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