01.武蔵野の水と緑と寺と蕎麦

深大寺界隈は週末ともなれば、寺をとりまく自然や、名物の深大寺蕎麦にひかれ、家族連れ、老若男女で大いに賑わいをみせます。
蔵野の面影を残す深大寺周辺は、昭和36年に開園した隣接の都立神代植物公園とあわせて散策地、憩の場所として有名です。
02.深大寺真名縁起

過る平成十三年盛夏、深大寺の新梵鐘開音法要が行われました。南北朝時代、永和2年(1376)の洪鐘にかわり、六百余年ぶりに平成新鐘の梵音が武蔵野に響き渡りました。
03.深大寺開創と水神「深沙大王」

『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人の父、福満が、郷長右近の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。
04.天台の法流を汲み、東国第一の台密道場へ

平安時代、清和天皇の貞観年中(860年頃)、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚が勅命をうけ東国に下りました。
特に恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣7ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。
05.鎌倉幕府と深大寺元三大師像

良源大僧正は正月三日の入滅により、元月三日の大師さま、通称「元三大師」として有名ですが、荒廃していた比叡山諸堂の復興など数多の功績を上げられたので、比叡山中興の祖、また「おみくじ」を初めて作られたことから「おみくじの祖」としても崇められています。
06.文才の僧「長辯」の活躍と中世深大寺

ところで、当山の来歴をたどる上で貴重な資料が残っています。室町の初期、深大寺には文筆に秀でた僧「長辨」が住し、深大寺のみならず広く多摩川各地の社寺豪族の勧進、施入、祈願、諷誦を依頼されては大いに筆を振るいました。その文集が『私案抄』です。
07.「元三大師信仰」大いに振るう

徳川期、深大寺の元三大師出開帳が明和2年(1765)七月と文化13年(1816)六月の2回、両国の回向院で執行されています。
08.「白鳳仏の微笑」深大寺悠久の1300年

慶応元年(1865)、またもや深大寺諸堂は炎上します。霊仏寺宝の数々は幸いにその難を逃れますが、建造物は山門と常香楼を残すのみとなり、その再興途上に明治維新を迎えます。