深大寺界隈(かいわい)は週末ともなれば、寺をとりまく自然や、名物の深大寺蕎麦にひかれ、家族連れ、老若男女で大いに賑わいをみせます。
蔵野の面影を残す深大寺周辺は、昭和三十六年に開園した隣接の都立神代植物公園とあわせて都人好個の散策地、憩の場所として有名です。

『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満(ふくまん)が、郷長右近(さとおさうこん)の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。

平安時代、清和天皇の貞観年中(八六〇年頃)、武蔵の国司蔵宗(こくしくらむね)が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、修験の達者である比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)が勅命をうけ東国に下りました。特に恵亮和尚は深大寺を道場に定めて、逆賊降伏の密教修法を行ない、その平定の功により清和天皇は、近隣七ヶ村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。

加えて、正暦二年(九九一)第十八代天台座主慈恵大師良源(じえだいし りょうげん)大僧正の自刻像が、大師の高弟である慈忍(じにん)和尚、恵心僧都(えしんそうず)両師の意を受けた寛印により遥か叡岳より深大寺に遷座されました。

ところで、当山の来歴をたどる上で貴重な資料が残っています。室町の初期、深大寺には文筆に秀でた僧「長辨(じょうべん)」が住し、深大寺のみならず広く多摩川各地の社寺豪族の勧進、施入、祈願、諷誦を依頼されては大いに筆を振るいました。その文集が『私案抄』です。







