深大寺開創と
深沙大王

深大寺開創と水神「深沙大王」

03.深大寺の開創と水神「深沙大王」

『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人まんくうしょうにんの父、福満ふくまんが、郷長右近さとおさうこんの娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。福満は玄奘三蔵げんじょうさんぞうの故事を思い浮べ、深沙大王じんじゃだいおうに祈願して、霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。娘の父母もこの奇瑞を知って2人の仲を許し、やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。

長じて満功上人は、父福満の宿願を果すために出家し、南都に法相ほっそうを学び、帰郷後、この地に一宇いちうを建て深沙大王を祀りました。時に天平5年(733)、これが深大寺開創の伝説であります。

いま深大寺の境域は清水にめぐまれ、その清冽な水はつきない流れとなって、かつては下流の田を潤してきました。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、素朴な水神信仰を生み、やがて仏教の伝来とともにこの霊地に注目して寺が建立されたといわれます。これが草創期の姿なのでありましょう。

深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされています。唐の玄奘三蔵げんじょうさんぞうが経典を求めて天竺に赴く途次、砂漠での難を深沙大王が救ったという説話は有名ですが、深大寺では例年10月に深沙大王堂で大般若経(だいはんにゃきょう)600巻の転読会を厳修しますが、堂内には玄奘と向い合って鬼神の姿の深沙大王像が描かれている十六善神図が掲げられます。

『縁起』には、淳仁じゅんにん天皇が「浮岳山深大寺」の勅額ちょくがくを下し、大般若転読を永式と定める鎮護国家の道場になったことを伝えています。

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